「海の日なんて知らない」
「海の日なんて知らない」
誉田リュウイチ
「海の日?」
「えっ、まさか知らないとか」
居酒屋で隣り合った二人組の声が聞こえる。若い方、といっても三十半ばから四十くらいの男がからかうような声を出す。
「知ってるよ、知ってるけどな……」
もう一方の五十がらみの男が頷く。
「でも、祝日なんてよ、ガキの頃にあった物だけ覚えてる。それが、わけの分からん物が増えてきて」
「そんなこと言っても、休みが増えるのはいいことでしょう」
「おい、お前も俺も、しがない物書きだぞ。今更、休日って言われてもな」
「ああ、そうですね。先輩なんか、毎日が祝日ですもんね」
「お前にだけは言われたくない。大体、いつできたか知らないけど、毎年、知らない間に来て、知らない間に終わってるぞ」
「あれ、海とか行かないんですか」
「お前、行くのか」
「行きますよ」
「誰と」
「誰とって、色々……」
若い方が勝ち誇ったように笑った。年上の方は、むっとしている。
「ふん。まあ、海で水着美女とお楽しみか。結構なご身分だ」
「いや、そんなの普通でしょう」
「俺はないぞ」
「ああ、まあ、先輩はね」
若い方が少し気の毒そうな目をした。
「海の日ができたことも知らなかった世代ですもんね」
「悪いか」
「いや、悪くないですよ。でも、僕みたいに、本当は終業式なのに、一日夏休みが延びたって喜んだことないですよね」
「何だ、そりゃ」
「海の日は、7月20日なんですよ。昔は大抵終業式だったのに、休みになって一日もうけた……あれ、知らないですか」
「だから、まるで興味がないって言ってるだろ」
若い方はまた哀れむような目をした。
「先輩、これからは覚えておいて、7月20日は海に行きましょうね」
わたしは、その時、思わず話しかけていた。
「今は違いますよ……ああ、ごめんなさい。急に話しかけまして」
わたしは丁寧に頭を下げて笑みを見せた。
「海の日なんですが。今は7月20日じゃありません」
いきなり話しかけられたふたりは、きょとんとしている。
「今は、7月の第3月曜日です。ハッピーマンデーはご存じですか」
「ああ、何か無理矢理、三連休にするやつだ」
年上の男はそう言って頷いた。
「ええ、海の日はそのひとつです。海の日が施行されたのは平成8年、確かにその時は7月20日でした。しかし、平成15年ハッピーマンデー導入によって、変更されました。だから、7月20日とは限りません」
年上の男は満面に笑みを浮かべて若い方を見た。
「だってよ。お前も世の中についていってないみたいだな」
今度は若い方が憮然としている。
「ずっとこの先、7月の第3月曜日だ。よく覚えておけ」
「それは違います」
わたしが言うと、年上の男が振り返った。
「違うって、何が」
「はい、来年は確かに7月の第3月曜日です。しかし再来年、2020年は違います。7月23日が海の日です」
「何だよ、それ」
「再来年は東京オリンピックがあります」
「知ってるよ。それくらい」
「開幕式は7月24日金曜日です。で、前日の7月23日木曜日をその年だけ海の日にします。ついでに言うと、閉会式は8月9日、日曜日ですが、普段は8月11日の山の日を、8月10日月曜日に移します」
ふたりの男は何も言わない。わたしは続けた。
「これで開幕前後は四連休、閉幕前後は三連休になります」
「ちょっと待った」
年上の男が手を挙げる。
「開幕前日、木曜日が海の日は分かるが、次の開会式は平日だろ。連休にならないよ」
「ああ、言い忘れてました。この年、体育の日を7月24日に移します」
ふたりの男は首を傾げた。
「そう、そして、体育の日は、その年からスポーツの日に名前が変わります。分かりましたか?」
ふたりの男は同時に首を振った。