「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」 目指せ、西鶴と、やすとも!

三回に分けて掲載した文章を、まとめて少し編集して全文掲載しました。

どうぞよろしくお願いいたします。

9月に入りました。いきなりで申し訳ありませんが、25日角川文庫から新刊「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」が刊行されます。そこでこの本について宣伝も兼ねて、色々思うことを書いていこうと思います。

もうちょっとおさまった感じもしますが、今年の甲子園は大変な盛り上がりをみせて、大阪出身ということもあり、最後までしっかり観戦しました。そこで覚えておられる方も多いと思いますが、決勝戦で金足農の伝令の選手が、マウンドに行く際に走り抜けて笑いを取りました。

その瞬間、「ああ、これや」と思いました。

何がかと言うと、この「茜屋清兵衛奮闘記」を書いた時にやりたいと思っていたことを、この伝令選手が数十秒で見事に表現してくれたのです。決勝戦、しかも大差で負けているマウンドに行くという緊迫の中で、まあ、見事なまでのギャグ。まさに、これが本書でやりたいことでした。

小説には兎角、感動したとか、泣けたとか、人生を学べたとか、美しかった、生き方に惚れた等々の讃辞が寄せられます。いずれも心が揺り動かされたという意味でしょう。私自身、今まで読んだ多数の小説で、そのように感じた作品は数多ありますし、そういう作品こそが王道だと言われているのも知っています。

しかし、「そうでもないやろ」と最近感じるようになっています。そういうタイプの小説が、あまりに過多過ぎで、しかも固過ぎで、本当に面白いのかという素朴な疑問です。

そんな頃、書き始めたのが、この「茜屋清兵衛奮闘記」でした。

小説界では、今、笑いが少ないような気がします。しかつめらしく、重々しく真面目に語ったり、感動巨編をうたったりするものが多く、実はかく言うわたしもそういう小説が大好きですが、近年はやや窮屈に感じることがあります。

つまり、「そんな重たい話や、感動話ばかりでどうよ」ということです。

先に書いた伝令の選手の話で言うと「打たれたピッチャーの気持ちをほぐす気遣いが素晴らしい」という具合に世の中も、どうも感動話に持っていきたがる風潮がある感じがします。実際、あの選手には、そういう気持ちがあったのかも知れません。ただ、自分の高校生くらいの頃は、ふざけたことばかりやってましたから、多分、彼も、笑いが取りたくてやったと思うのがわたしには自然です。お前と比べてどないするとか、お前とは人間のレベルが違うとか言う意見はあるかも知れませんが、あくまで私感です。

とにかく、あの伝令の選手のようなおもろい小説を書きたいのです。では、どんな小説がおもろいのか。ユーモア小説というジャンルは今もあります。ただ、その中でも、ちょっと洒落たユーモアというよりも、あの伝令の選手のようにもっと直線的におもろいのが書きたい、なぜならそれは即ち自分がそういう笑いが一番好きだからです。では、具体的にどんなのがいいのか。

今度の「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」では、どんなおもろさを目指したか。

作家なら、誰でもそうでしょうが、オリジナリティを追求します。従ってどんな作品、どんな作家を目指すかという時点で矛楯するように感じられるかも知れません。しかし、別に同じような作品を書くという訳では無く、場所というか、存在位置に関しての話をしています。

「うだうだはええから、結論を言わんかい」という声が聞こえてきます。

これは編集者の方との話の中で出てきたのですが、ずばり井原西鶴です。「おい、おい、大物言うのも大概にしとけよ」「体調悪いんか」の声が聞こえてきますが、本人至って正気です。別に西鶴のような歴史に残る作家になりたいと言ってるのではありません(もちろん、そうなれば幸いですが)。ただ、他の作家を全く寄せ付けない圧倒的な独創性で、庶民の生活、商売、男女のことなどを描ききった西鶴、そんな風に書ければどんなに素晴らしいでしょう。町人を中心に、たとえ武士が出てきても、みな人間臭い登場人物と物語。そういうものが書ける存在を目指すということです。

更に、もうひとつ、いや、ひとかた、いや、ふたかた、目指す存在があります。これは、まさに目指すという言葉がぴったりで、あまりに遠い存在ですが、海原やすよ・ともこ、通称やすともです。言わずと知れた超人気漫才コンビですが、とにかく、小説中で、あの笑いに少しでも近づきたいのです。「そんなのお前には無理」「あんなセンスがあるわけない」との言葉はごもっともです。でも、あの「やすとも」の笑いが一瞬でもできたらと、願ってやみません。

以上、「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」刊行にあたっての思うところを書いてきました。まずは、何がやりたいのかを書きました。最後まで。お読みいただきました方、感謝いたします。もちろん、まだまだ、新刊については書いていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

なお、今月25日発売の「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」(角川文庫)応援よろしくお願いいたします。展開などしていただけたり、色紙くらい置いてやってもいいぞという書店様、ございましたら、お気軽にDMなどでご連絡くださいませ。何卒よろしくお願いいたします。

目指すおもろいもの 「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」③

では、今度の「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」では、どんなおもろさを目指したか。作家なら、誰でもそうでしょうが、オリジナリティを追求します。従ってどんな作品、どんな作家を目指すかという時点で矛楯するように感じられるかも知れません。しかし、別に同じような作品を書くという訳では無く、場所というか、存在位置に関しての話をしています。

「うだうだはええから、結論を言わんかい」という声が聞こえてきます。

これは編集者の方との話の中で出てきたのですが、ずばり井原西鶴です。「おい、おい、大物言うのも大概にしとけよ」「体調悪いんか」の声が聞こえてきますが、本人至って正気です。別に西鶴のような歴史に残る作家になると言ってるのではありません(もちろん、そうなれば幸いですが)。ただ、他の作家を全く寄せ付けない圧倒的な独創性で、庶民の生活、商売、男女のことなどを描ききった西鶴、そんな風に書ければどんなに素晴らしいでしょう。町人を中心に、たとえ武士が出てきても、みな人間臭い登場人物と物語。そういうものが書ける存在を目指すということです。

更に、もうひとつ、いや、ひとかた、いや、ふたかた、目指す存在があります。これは、まさに目指すという言葉がぴったりで、あまりに遠い存在ですが、海原やすよ・ともこ、通称やすともです。言わずと知れた超人気漫才コンビですが、とにかく、小説中で、あの笑いに少しでも近づきたいのです。「そんなのお前には無理」「あんなセンスがあるわけない」との言葉はごもっともです。でも、あの「やすとも」の笑いが一瞬でもできたらと、願ってやみません。

以上、三回にわたって、「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」刊行にあたっての思うところを書いてきました。まずは、この三回で何がやりたいのかを書きました。最後まで。お読みいただきました方、感謝いたします。

もちろん、まだまだ、新刊については書いていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

おもろい小説って何や「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」②

①でも述べましたが、小説界では、今、笑いが少ないような気がします。しかつめらしく、重々しく真面目に語ったり、感動巨編をうたったりするものが多く、実はかく言うわたしもそういう小説が大好きですが、近年はやや窮屈に感じることがあります。

つまり、「そんな重たい話や、感動話ばかりでどうよ」ということです。

先に書いた伝令の選手の話で言うと「打たれたピッチャーの気持ちをほぐす気遣いが素晴らしい」という具合に世の中も、どうも感動話に持っていきたがる風潮がある感じがします。実際、あの選手には、そういう気持ちがあったのかも知れません。ただ、自分の高校生くらいの頃は、ふざけたことばかりやってましたから、多分、彼も、笑いが取りたくてやったと思うのがわたしには自然です。お前と比べてどないするとか、お前とは人間のレベルが違うとか言う意見はあるかも知れませんが、あくまで私感です。

とにかく、あの伝令の選手のようなおもろい小説を書きたいのです。では、どんな小説がおもろいのか。ユーモア小説というジャンルは今もあります。ただ、その中でも、ちょっと洒落たユーモアというよりも、あの伝令の選手のようにもっと直線的におもろいのが書きたい、なぜならそれは即ち自分がそういう笑いが一番好きだからです。では、具体的にどんなのがいいのか。次回はその辺を書きこうと思います。(次回に続く)

おもろい小説が書きたかった。「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」①

9月に入りました。いきなりで申し訳ありませんが、25日角川文庫から新刊「日本一の商人 茜屋清兵衛奮闘記」が刊行されます。そこでこの本について宣伝も兼ねて、色々思うことを書いていこうと思います。

もうちょっとおさまった感じもしますが、今年の甲子薗は大変な盛り上がりをみせて、大阪出身ということもあり、最後までしっかり観戦しました。そこで覚えておられる方も多いと思いますが、決勝戦で金足農の伝令の選手が、マウンドに行く際に走り抜けて笑いを取りました。

その瞬間、「ああ、これや」と思いました。

何がかと言うと、この「茜屋清兵衛奮闘記」を書いた時にやりたいと思っていたことを、この伝令選手が数十秒で見事に表現してくれたのです。決勝戦、しかも大差で負けているマウンドに行くという緊迫の中で、まあ、見事なまでのギャグ。まさに、これが本書でやりたいことでした。

小説には兎角、感動したとか、泣けたとか、人生を学べたとか、美しかった、生き方に惚れた等々の讃辞が寄せられます。いずれも心が揺り動かされたという意味でしょう。私自身、今まで読んだ多数の小説で、そのように感じた作品は数多ありますし、そういう作品こそが王道だと言われているのも知っています。

しかし、「そうでもないやろ」と最近感じるようになっています。そういうタイプの小説が、あまりに過多過ぎで、しかも固過ぎで、本当に面白いのかという素朴な疑問です。

そんな頃、書き始めたのが、この「茜屋清兵衛奮闘記」でした。

(次回に続く)

「海の日なんて知らない」

「海の日なんて知らない」

             誉田リュウイチ

「海の日?」

「えっ、まさか知らないとか」

 居酒屋で隣り合った二人組の声が聞こえる。若い方、といっても三十半ばから四十くらいの男がからかうような声を出す。

「知ってるよ、知ってるけどな……」

 もう一方の五十がらみの男が頷く。

「でも、祝日なんてよ、ガキの頃にあった物だけ覚えてる。それが、わけの分からん物が増えてきて」

「そんなこと言っても、休みが増えるのはいいことでしょう」

「おい、お前も俺も、しがない物書きだぞ。今更、休日って言われてもな」

「ああ、そうですね。先輩なんか、毎日が祝日ですもんね」

「お前にだけは言われたくない。大体、いつできたか知らないけど、毎年、知らない間に来て、知らない間に終わってるぞ」

「あれ、海とか行かないんですか」

「お前、行くのか」

「行きますよ」

「誰と」

「誰とって、色々……」

 若い方が勝ち誇ったように笑った。年上の方は、むっとしている。

「ふん。まあ、海で水着美女とお楽しみか。結構なご身分だ」

「いや、そんなの普通でしょう」

「俺はないぞ」

「ああ、まあ、先輩はね」

 若い方が少し気の毒そうな目をした。

「海の日ができたことも知らなかった世代ですもんね」

「悪いか」

「いや、悪くないですよ。でも、僕みたいに、本当は終業式なのに、一日夏休みが延びたって喜んだことないですよね」

「何だ、そりゃ」

「海の日は、7月20日なんですよ。昔は大抵終業式だったのに、休みになって一日もうけた……あれ、知らないですか」

「だから、まるで興味がないって言ってるだろ」

 若い方はまた哀れむような目をした。

「先輩、これからは覚えておいて、7月20日は海に行きましょうね」

 わたしは、その時、思わず話しかけていた。

「今は違いますよ……ああ、ごめんなさい。急に話しかけまして」

 わたしは丁寧に頭を下げて笑みを見せた。

「海の日なんですが。今は7月20日じゃありません」

 いきなり話しかけられたふたりは、きょとんとしている。

「今は、7月の第3月曜日です。ハッピーマンデーはご存じですか」

「ああ、何か無理矢理、三連休にするやつだ」

 年上の男はそう言って頷いた。

「ええ、海の日はそのひとつです。海の日が施行されたのは平成8年、確かにその時は7月20日でした。しかし、平成15年ハッピーマンデー導入によって、変更されました。だから、7月20日とは限りません」

 年上の男は満面に笑みを浮かべて若い方を見た。

「だってよ。お前も世の中についていってないみたいだな」

 今度は若い方が憮然としている。

「ずっとこの先、7月の第3月曜日だ。よく覚えておけ」

「それは違います」

 わたしが言うと、年上の男が振り返った。

「違うって、何が」

「はい、来年は確かに7月の第3月曜日です。しかし再来年、2020年は違います。7月23日が海の日です」

「何だよ、それ」

「再来年は東京オリンピックがあります」

「知ってるよ。それくらい」

「開幕式は7月24日金曜日です。で、前日の7月23日木曜日をその年だけ海の日にします。ついでに言うと、閉会式は8月9日、日曜日ですが、普段は8月11日の山の日を、8月10日月曜日に移します」

 ふたりの男は何も言わない。わたしは続けた。

「これで開幕前後は四連休、閉幕前後は三連休になります」

「ちょっと待った」

 年上の男が手を挙げる。

「開幕前日、木曜日が海の日は分かるが、次の開会式は平日だろ。連休にならないよ」

「ああ、言い忘れてました。この年、体育の日を7月24日に移します」

 ふたりの男は首を傾げた。

「そう、そして、体育の日は、その年からスポーツの日に名前が変わります。分かりましたか?」

 ふたりの男は同時に首を振った。

                

記念日にショートショートを 『七夕への誘い』

『七夕への誘い』

               誉田リュウイチ

「スーパーボール?」

「そう、NFLアメリカン・カンファレンスとナショナル・カンファレンスのチャンピオンが戦う試合だよ」

日本シリーズみたいなものですか」

「いや、そんなもんじゃない。向こうの方がずっと人気がある」

   ※  ※  ※

 実家からの着信を告げる表示が見えた。

「ああ、紀彦か。お母ちゃんよ」

 もう実家には三年、帰っていない。つまりあれから三年ということだ。それでも時には金を無心したりする為にも連絡だけは取っていた。

「手紙が来たんだよ。お前宛に」

「誰から? 今の俺に誰が用があるんだ」

 思わず声を荒らげていた。

「千夏っちゃん」

 一瞬、頭が混乱した。千夏、松本千夏は中学の同級生だ。同窓会など一度も行かなかったから、二十年会っていない計算になる。

「何の用だよ」

「手紙開けてないから」

「じゃ、すぐ読んでくれ」

 ガサゴソという音がしたかと思うと、母の棒読みが聞こえてきた。

「お久しぶりです。中学の時、同級生だった女子の松本千夏です。あっ、もう、女子っていう年じゃありませんが。そう言えば、一度、望月千夏に変わって、また去年の春、元の松本に戻りました。ごめん、余計なこと書いて。連絡したのは……」

 千夏との思い出が蘇ってきた。ほんのすぐ先に住んでいた同級生だから、小学生の頃はいつも真っ暗になるまで遊んでいた。そして中学に上がっても、異性というよりは親友みたいな感じで、ずっと一緒に居た憶えがある。卒業後は親の転勤で、どこかへ行ってしまったはずだ。

「……卒業式の時の約束覚えてますか。ほら、英語の副読本に出てきた話、何て言ったっけ……あの話みたいに、将来七夕に会おうって」

 織姫と彦星が一年に一度会うくらいは知っている。ただ、英語で習う話じゃない。おそらく国語の間違いだ。そんなことを思っていると、いきなり、頭に、千夏の顔が浮かんできた。くりっとした大きな瞳とぽちゃっとした頬が特徴的だった。もう、三十五になってるはずだから、そのままじゃあるまい。

「会いたいなって思っても、メールも電話も分からないので、実家の方へ手紙を出しました。ああ、でも、嫌だったら、スルーして下さい。もし、良かったら、七月七日、中学の裏の……」

 そこまで聞いた時、涙がこぼれ落ちた。二十年前のつまらないと思っていた時間が、実は何よりの物だったということを、今の自分の境遇と比べて、思い知った瞬間だ。

 会いたい。会って、あの頃に一瞬でも戻りたい。

 七夕の日は朝から蒸し暑く、夜になっても汗がじわっと滲んでくるようだった。すべて新装されていた中学の校舎を横目に、裏手の小さな神社へと向かった。ここだけは二十年の月日をまるで感じさせない。人気が無く、昼間でも薄暗い境内に足を踏み入れる。

 居た! こちらに背中を向けて、ベンチに座る女がいる。

「千夏」

 声を掛けると、女は素早く立ちあがって振り向くと微笑んだ。切れ長の目がこちらを向いている。千夏はゆっくりと近づいて来た。

「随分、変わったな……」

 その時、右手に何かがはめられた。

「山中紀彦。詐欺の容疑で逮捕します」

 はっと思った時には、もう後ろに屈強な男が三人立っている。

「三年間、しんどかったな」

 背後の刑事の声が聞こえた。しかし、逮捕されたという事実よりも、別のことが頭の中を占めていた。そうだ、英語でいいんだ。オー・ヘンリーの『二十年後』。千夏は英語が得意だった。

   ※  ※  ※

「しかし、汚い手ですね」

「指名手配犯逮捕強化月間だからな」

「でも、出所したら、御礼参りに行ったりしませんかね」

「それはないな……千夏さんはアメリカ留学、そのまま向こうで結婚した」

「でも、執念深く追って……」

「それも去年で終わり。交通事故で亡くなった。実家も、もう無い」

「へぇ、すごい偶然ですね」

「馬鹿、偶然じゃない。事故の報せを聞いて、使えると思った。千夏さんには申し訳ないけど。まあ、犯人逮捕に協力するのは市民の義務だ」

「じゃ、手紙は全部創作ですか」

「まあな。『二十年後』は誰でも習ってるだろ。後はスーパボールチケットでおびきだしたFBIの真似だ」

FBIがスーパーボールなら、警視庁は七夕。さすが、お見事」

 

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